福井大学医学部卒業後、同附属病院救急部にて研修。Emergency Medicine Alliance・Japanese Emergency Medicine Networkのコアメンバーとして活動し、JEMNet論文マニュアルを執筆。救急専門医取得後、ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程に進学すると同時にマサチューセッツ総合病院救急部にて臨床研究に従事。帰国後は東京大学大学院臨床疫学経済学講座にて研究活動を行い、現在同講座及びTXP Medical社のChief Scientific Officerとしてデータ解析や臨床研究の指導を行っている。
メンターのタイプと相性
当然ながらメンターの性格やリーダーシップ、相性も大事です。むしろこちらの方が大事かもしれません。優秀な研究者は自分にも人にも厳しい事が多く、あまりに厳しすぎる人の場合、下がついてこれずお互い不幸な結果に終わることもあります。また指導医が有名であるが故に忙しすぎて構ってもらえないというのもよく目にします。今までそういう事例をいくつか見てきた事があるだけに、臨床研究の指導を受ける場合には事前に面接を受ける事や相談する事は大事だと思います。そしてリサーチカンファなどで定期的にフォローアップしてくれる仕組みがあるところはとても良いと思います。というのも余程モチベーションが高くなければ大抵の人は途中で執筆が止まって数週間はあっという間に経過していることの方が多いからです笑。
経験上、臨床研究の指導者は大きく二つのタイプに分かれます。
- どんな論文であってもできるだけ手を抜かずチェックを行い、最終原稿を確認する人
- コメントをいくつか入れるのみで「これでいいんじゃないでしょうか」とやや適当な人(ただの共著者は除きます。あくまで直属のメンターの話です)
僕自身は研究するなら1の指導者をお勧めします。本当に研究に対して真摯な人はどのような論文であれ細部に非常に拘ります。論文のロジック、単語や表現の選び方などに関して妥協しません。そういう人は往々にして厳しいのですが、自分の名前が入っている以上、プライドを持って論文がpublishされるまで面倒を見てくれます。
一方で「うん、これでいいんじゃない?」と本文にコメントをいくつか入れておしまい、というメンターは最後まで面倒見てくれるかどうか不明です(信頼があってそう言っている場合は別です)。以前、共著で入った論文のメンターの先生がこんな感じで、筆頭著者の先生から「これでボスはOKって言ってるけど大丈夫だと思う?」と何度も相談され、正直に「多分良くないと思う」と伝えて、そこから二人で論文を改善してようやく出版した事がありました。
特に高いポジションになって忙しくなってくると一つの論文をチェックするのに割ける時間は減りますし、初学者の論文修正ほど時間がかかるものはありません。また初学者に大きなエフォートを割いてくれる人も珍しいです。そうなると、「まあ内容は悪くないから校正に出せば形になるだろ」くらいの気持ちでいるかもしれませんし、そもそも論文が出ようが出まいがあまり気にしていないかもしれません(もしかしたらそもそもよく分からないからOKを出しているかもしれません)。
要は「あなたの研究に責任を持ってくれているかどうか?」で、真面目に臨床研究やるならそのメンターが論文をちゃんと最後まで見てくれる人かどうかは周りの人に聞いたほうがいいです。逆にもう論文をバリバリ書ける人なら適当なメンターの方が気楽かもしれませんが…。
外から見てメンターの良し悪しはわかるのか?
これは外から見てもなかなか分かりませんから実際に指導を受けた人の評判を聞くのがいいと思います。臨床研究も臨床と同じで経験が物を言う世界でもありますが、同時に優れたメンターのもとで沢山研究している人は優れたメンターになりうると思います。優れたチームで臨床研究を学んだ人というのは業績以上に研究に対する姿勢や知識、チームのまとめ方、教科書には載っていない様々なことを実地で学んでいます。なのでメンターがどこで臨床研究を学んだのか、というのは一つの目安になると思います。
メンターというと臨床研究をバリバリやっている人と思われるかもしれませんが、指導能力の有無を第三者がいきなりPubMedで名前を検索して判断することは難しいです。確かに臨床研究というのはまずは1stで書くことが大事で、その後共著として人の論文を手伝い、最後に自分がプロジェクトを打ち立ててlast authorとして研究を統括していきます。そうなると必然的に1stから2nd、そしてlastが順番に増えていきます。1stと2ndが多い人はそれなりに実力がある一方で、1stと2nd が少なくほとんどが3rd以降であれば、有名であっても単に共著で名前を連ねている可能性もあり、指導能力があるかどうかはわかりません。個人的には1stで責任を持って論文を仕上げるという経験が大きくものをいうと思いますので、メンターが1stの論文をちゃんと出しているかどうかは見た方がいいとは思います。しかし、一部1stにはならないけど非常に優れた臨床研究者もいますので(自分が積極的に論文を書くわけではないが研究に詳しく指導能力の優れた人)、PubMedを見た時のオーサーシップだけで全部を判断するのは難しいのです。
メンターを探すのであれば、詳しい先生に相談する、インターネットやSNSで調べてみるなどありますが、救急医学会などの学会に参加して自分が興味のあるテーマの研究を行っている先生を探すという方法もあります。海外学会でこの方法で研究者と仲良くなり、そのまま研究留学につなげた先生もいます。もしその先生が筆頭で英語論文を何本も出していたらチャンスです。発表後に直接相談に行きましょう。どのような研究者であれ、多くの先生は自分の研究に興味を持ってもらえると嬉しいですし、できるだけ誠実に答えてくれるはずです。僕も出待ち(笑)してくれている先生がいた時はすごく嬉しく思います。
論文の執筆能力
それから結構見逃されがちなのが執筆能力です。論文にして出版するのが一つのゴールである以上、解析したデータを執筆しなければいけません。でもここに立ちはだかるのが英語の壁です。日本では「簡単な英語で書く」「わかりやすく書くことが大事」「最終的には校正業者に出せば綺麗になる」という指導を受ける人が多いと思いますが、これらは基本であり、やはり同じ内容の研究であってもプレゼンテーション能力で採択結果が変わるであろうことは想像に難くないです。特に一流誌であればその傾向は顕著でしょう。少なくとも僕が出会ってきた優れた研究者の中でこの部分を軽視している先生はまずいません。
マサチューセッツ総合病院救急部のCarlos Camargo教授や長谷川耕平先生に指導を受けた際に、彼らは単語や文章表現のひとつひとつに細心の注意を払っていました。一方で別の実績ある先生の用いる表現や書き方は異なり、僕が学んだ事との違いを学ぶのも大いに勉強になりましたが、誰一人として表現に拘らない人はいませんでした。特に研究用語や単語を正確に用いることは厳しく指摘されました。用語の使い方が間違っている論文の内容が正しいとは思えないから、という論理ですね。正論だと思います。「科学者が自分の研究結果を自分の言葉で表現できなくてどうする?」とは長谷川先生の言です。
最近はDeepLなどの優れたサービスがあるので、それらを駆使しながら基本に忠実に、シンプルに書けば大抵の雑誌に通ります。とはいえ個人的にはDeepL+英文校正では臨床研究論文の表現としては不十分だと思いますし、自分の成長のためにも、論文の質を上げるためにも妥協しない表現を考えながら論文を執筆していくというのはメンターに必要な要素の一つではないかなと思います。まあそのうち学術特化したDeepL-scienceとか出てきそうですけどね…
船頭多くして船山に上る
これも本当にあるあるですが、最初に相談していたメンターとうまくいかない、あるいは意見を聞きたくて勝手に他の人に相談するのは絶対やめましょう。救急外来の臨床研修でもダブルコンサルトはやめろと言われた人もいると思いますが、それと同じです。これは混乱の元になって、最終的に論文が形にならないことの方が多いです。最初に相談に乗っていたメンターからすると自分に断りなく相談されると面白くはないですし、どちらの意見を重視するかで間に挟まれることになります。同じ研究目的だから同じ方向を向くかというと案外そうではなく、結構方針が割れてしまうんです。従って、基本は筆頭著者と一人のメンターが全責任と方針決定権を持つというのが理想的だと思います。もちろん直属のメンターの許可を得て、最終決定権を明確にした上で相談するのはOKです。でも急造でチームを組むとわかるんですが、「あの人がこう言ってるなら、任せようかなあ」などお互い遠慮して話が進まないこともあるんですよね…
トップジャーナルから論文を出したい
最後になりますが、もしトップジャーナルに論文を出したいのであれば、1st & Last authorがそういった雑誌に何本も出している研究室に所属するのが最も近道でしょう。トップジャーナルに観察研究で論文が掲載される場合、それをなし得るデータの存在と研究室の指導者の名前が非常に重要だからです。そして質の高いデータが無ければ観察研究は始まりません(ランダム化比較試験に関してはその時のタイミングもあるので基本的にはサブ解析しかできないことがほとんどではないかと思います)。当然ながら四大誌クラスの査読は非常に厳しいですから、それにちゃんと対応できる実力があるという裏付けでもあります。
臨床研究において目に見えないけど影響しているのは研究室、あるいはその研究者に対する編集者からの信頼です。実績というのはそういうところに響いています。嘘かホントか、ボストンにある某有名な研究室ではボスの名前があれば投稿する雑誌のランクが一つも二つも上がると言われていました。これはコネとかそういうものではなく、その研究者に対する信頼であり、逆に質の低い論文を何本も投稿して悪い方向に名前を覚えられるとその信頼を傷つけることになります。また編集者から信頼されていれば原稿が依頼される事もあるでしょう。
海外の有名な研究室にいる時は論文が出ていたけど、出てからはそうでも無いというのはよくある事です。その人が独り立ちになった時に何を持っていて何ができるのか?がその人の実力になってくると思います。米国留学中、とある研究者が別の施設のポジションを獲得した時にみんなでお祝いをしました。会の後、二人で帰る時にボスが「彼はここからが本番だね」と言っていましたが、今になってそれが何を意味していたのかわかります。後にその研究者とも連絡を取ることがありましたが、やはり研究室のボスから独立して自分の名前で業績を高めて行くことの大変さを感じていたようです。
そう考えると今現在有名な研究室に所属している人は在籍中に十分な土台を築いておき、共存しながら自分の道をゆっくり作って行きつつ、ちょうど良いタイミングで移行すると同時に研究も開始できるというのが研究者としては理想的なのかもしれません。
(後藤匡啓)
Dr.Gotoの臨床研究コラム