慶應義塾大学法務研究科卒業、司法修習を経て弁護士登録。スタートアップから上場企業までの幅広い業種の企業法務を担当する。上場前後のベンチャー企業のM&Aや新規サービスの法的リサーチに強みを持ち、法に基づく革新的な事業の推進に注力する。
臨床現場における診療情報の取扱い
弁護士の大熊一毅です。今回のテーマは「臨床現場における診療情報の取扱い」です。
医療事業における患者情報の取扱いに関する議論は極めて広範にわたり、厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」(平成29年5月30日)及び「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」に関するQ&A(事例集)(平成29年5月30日)が詳しいのですが、本稿では、とりわけ救急の現場で即時の対応を求められがちな設例に絞って、前後編に分けて紹介していきたいと思います。
その1 患者本人以外に診療情報を提供してもよいのか?
その2 患者本人以外の関係機関への届出・連携について
本稿では、その1「患者本人以外に診療情報を提供してもよいのか?」について、いくつかケースを取り上げたいと思います。
設例
とある私立病院の救急科に、交通事故を起こした35歳男性が搬送されてきた。意識レベルはJCS Ⅰ-2(刺激しないでも党醒しているが、時、場所または人物がわからない状態)。救急外来の担当ナースから、”ヤマダさんという方が来ていて、病状説明を希望しています!先生、対応をお願いします”と言われた。
ⅰ ヤマダさんが、患者の会社上司である場合
ⅱ ヤマダさんが、患者の加入している保険会社の担当者である場合
ⅲ ヤマダさんが、警察官である場合
ⅳ ヤマダさんが、患者の配偶者である場合
前提知識ー個人情報の第三者提供ー
(1)原則 -本人の同意-
患者の氏名や診療情報は、個人情報保護法上の個人情報「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述などによって特定の個人を識別できるもの(他の情報と容易に照合することができ、それによって特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)、 または個人識別符号が含まれるもの。」(個人情報保護法2条)に該当します。また、診療情報は、その取扱いに特に配慮を要する「要配慮個人情報」(個人情報保護法2条3項)に該当するため、本人の同意を得ない情報取得が禁止されていたり、オプトアウトの方法による第三者提供の方法にも制限があるなど、特別の規制が存在します。
そして、これらの氏名・診療情報等の情報はカルテに記載され、「個人データ」となるところ、あらかじめ本人の同意を得ることなく、第三者に提供することが禁止されます。つまり、個人情報保護法は原則として、患者本人の同意が無ければ、診療情報等の個人データを本人以外の第三者に提供することを禁止しています。
(2)例外 -本人の同意を要しない場合-
しかし、毎回あらかじめ本人の同意を取得することが不都合な場合もあるため、個人情報保護法は、下記の4つのケースでは、本人の同意を要せず、本人以外の第三者に情報を提供することができるものと定めています(個人情報保護法23条第1項1号乃至4号)。
- 法令に基づく場合
- 人の生命・身体・財産の保護のために必要がある場合で、本人の同意を得ることが困難なとき
- 公衆衛生の向上や児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合で、本人の同意を得ることが困難なとき
- 国の機関や地方公共団体(またはその委託を受けた者)が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合で、本人の同意を得るとその事務の遂行に支障をきたす恐れがあるとき
ケースの検討
i ヤマダさんが、患者の会社上司である場合
会社上司は、患者本人にとっての「第三者」に該当します。
また、会社上司に病状を説明することは、法令にも書かれていませんし、本人の生命・身体・財産の保護のため必要性があるとはいえませんし、公衆衛生の向上や法令に定める事務遂行の場面でもありません。したがって、ヤマダさんが、患者の会社上司である場合には、本人の同意を不要とする上記4つの例外に該当せず、患者本人の同意無く病状の説明をするべきではないでしょう。
ⅱ ヤマダさんが、患者の加入している保険会社の担当者である場合
たとえ患者の加入している保険会社の担当者であっても、患者本人にとっての「第三者」に該当することに変わりはありません。また、保険会社担当者は、会社上司と同様、本人の同意を不要とする上記4つの例外に該当しませんので、患者本人の同意無く病状の説明をすることはできません。
ⅲ ヤマダさんが、警察官である場合
警察官は、患者本人にとっての「第三者」に該当します。しかし、捜査機関による診療情報等の提供を求める行為は、大きくわけて、令状に基づく強制捜査(刑事訴訟法218条、テレビドラマでいう「ガサ入れ」を想像してください)と、令状の無い任意捜査(刑事訴訟法197条2項)の2パターンとなりますが、いずれにしても、法令に基づく捜査であるところ、上記4つの例外のひとつ、「法令に基づく場合」に該当します。したがって、捜査に協力して患者の個人情報を伝えたとしても、個人情報保護法違反とはなりません。ただし、特に令状の無い任意捜査の場合には、電話による聞き取り捜査には応じない、正式な捜査関係事項照会書の交付を求めるなど、より慎重な対応を取ることが望ましいといえます。
ⅳ ヤマダさんが、患者の配偶者である場合
まず、患者の配偶者であっても、患者本人にとっての「第三者」に該当するため、医師は家族に対し、患者本人の同意無く病状の説明をすることはできないとも考えられます。しかし、医療機関等においては、患者への医療の提供に際して、家族等への病状の説明を行うことは、あくまで患者への医療の提供のために通常必要な範囲の利用目的と考えられており、院内掲示等で公表し、患者から明示的に留保の意思表示がなければ、患者の黙示による同意があったと扱ってよいものとされています。従って、患者本人から、家族への病状説明を拒否する明示の意思表示の無い限り、配偶者などの家族に対して病状の説明をすることは、原則として違法な個人データの第三者提供にはならないと考えてよいでしょう。
なお、患者が意識不明で意思表示ができない状態であったり、災害等の理由により非常に多数の傷病者が一時に搬送され、家族等からの問合せに迅速に対応するためには、本人の同意を得るための作業を行うことが著しく不合理な場合等であれば、例外のひとつ「医師が、本人又は家族等の生命、身体又は財産の保護のために必要であると判断する場合」に該当し、本人の同意無くして、家族等へ病状の説明することは可能と考えられます。
まとめ
救急の臨床で度々直面する患者情報の伝達についてですが、どのケースでも法律上・解釈上の根拠を伴う判断がなされていることをご理解頂く一助となれば幸いです。
次回は関係機関との患者情報の連携を要するシーンをいくつか紹介したいと思います。