慶應義塾大学法務研究科卒業、司法修習を経て弁護士登録。スタートアップから上場企業までの幅広い業種の企業法務を担当する。上場前後のベンチャー企業のM&Aや新規サービスの法的リサーチに強みを持ち、法に基づく革新的な事業の推進に注力する。
はじめに
弁護士の大熊一毅です。本コラムでは、救急医療に関わる法律問題から、医療データの利活用といった、医療にまつわる幅広いテーマを取り扱っていきます。さて、第1回のテーマは「救急医療における応招義務」です。実際の裁判例をベースに、臨床現場で応招義務違反の有無が争点となったケースを取り上げたいと思います。
前提知識
(1)応召義務とは?
まず、応招義務とは、医師法19条「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」との法律によって定められている、医師が診療に応ずる義務のことをいいます。救急医療機関においては、搬送人員に比して対応可能な医師や病床が不足すること等を主な原因とする「たらい回し」としてしばしば社会問題として取り上げられることもあり、最も有名な医師の義務のひとつかと思います。
(2)応招義務違反があるとどうなるのか?
法律的には、応招義務は、国家が医師に医業提供の独占的地位を与えることと引き換えに(医師法17条)、医師の身分に基づき国家に対して負担する公法上の義務を定めたものとされています。したがって、応招義務の違反があった場合、国家は当該医師に対して、医師免許の取消しまたは停止の処分を行うことができる(昭和30年8月12日医収第755条厚生省医務局医務課長回答)とされています(実際には、応招義務違反それのみを理由とした行政処分が行われた実例は見受けられません)。また、応招義務は医療を受ける患者の保護のために設けられた義務でもあることから、診療拒否によって患者に損害を与えた場合には、医師に過失があるとの一応の推定がなされ、医師側において診療を拒否したことの「正当な事由」を反証しない限り、民事上の損害賠償が認められてしまうと解されています。
具体的なケース
それでは、以上の知識を前提に、下記の2ケースにおいて、医師(病院側)に応招義務違反が認められるでしょうか?
ケース① 重症交通事故患者の受入拒否
(参考:神戸地判平4年6月30日判時1458号127頁)
ⅰ第三次救急医療機関である市立A病院に、ⅱ交通事故で瀕死の重傷(両側肺挫傷・右気管支断裂、意識レベルJCS30等)を負った患者の受入れの打診があったが、A病院が整形外科、脳神経外科のⅲ医師が不在であったことを理由に当該患者の受け入れを拒否した。なお、周辺にⅳ第三次救急医療機関は存在しなかった。
ケース② 重症幼児患者の受入拒否
(参考:千葉地判昭61年7月25日判時1220号118号)
ⅰ小児科専門医が所属し、入院施設のある国保直営総合病院であるB病院に、ⅱ気管支肺炎の重症救急患者(チアノーゼ、喘鳴、軽度の呼吸困難、頻脈などの症状があった)と判断された幼児(1歳)が搬送された。救急自動車はB病院の玄関前に待機しながら、約1時間にわたり受け入れを要請したが、B病院はⅲベッドが満床であることを理由に受け入れを拒否した。なお、ⅳ周辺に代替となる医療施設は存在せず、そのことをB病院も認識していた。
検討―診療拒否を正当化する事情とは?―
(1)正当な事由とは?
上記の2ケースでは、医療機関側が患者の受け入れを拒否していますが、これらの受け入れ拒否には、応招義務を発生させないための「正当な事由」が認められるのでしょうか?
この点、「正当な事由」の有無の判断は「具体的な場合において社会通念上健全と認められる道徳的な判断によるべき」と、個別事情に応じて判断されるものとされており(昭和24年9月10日付医発第752号厚生省医務局長通知)、行政解釈上は、以下のようなかなり医師側には厳しい判断であると思われる発表がされています(以下に紹介する解釈は一例です)。
診療拒否の事由 | 応招義務違反(原則) ○:正当事由あり ×:応招義務違反となる | 行政解釈 |
---|---|---|
医療費不払(を理由とした診療拒否。以下、同様) | × | 医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。 |
休日・診療時間外 | △ | 休日夜間診療所、休日夜間当番医制などの方法により地域における急患診療が確保され、かつ、地域住民に十分周知徹底されているような休日夜間診療体制が敷かれている場合において、医師が来院した患者に対し休日夜間診療所、休日夜間当番院などで診療を受けるよう指示することは、医師法第十九条第一項の規定に反しないものと解される。ただし、症状が重篤である等直ちに必要な応急の措置を施さねば患者の生命、身体に重大な影響が及ぶおそれがある場合においては、医師は診療に応ずる義務がある。 |
企業内診療所 | × | 特定人例えば特定の場所に勤務する人々のみの診療に従事する医師又は歯科医師であっても、緊急の治療を要する患者がある場合において、その近辺に他の診療に従事する医師又は歯科医師がいない場合には、やはり診療の求めに応じなければならない。 |
専門医師が不在であること | △ | 医師が自己の標榜する診療科名以外の診療科に属する疾病について診療を求められた場合も、患者がこれを了承する場合は一応正当の理由と認め得るが、了承しないで依然診療を求めるときは、応急の措置その他できるだけの範囲のことをしなければならない。 |
一方、患者の暴力行為によって診療そのものが困難である場合や、医師の不在やベッドの不在のために適切な措置が困難である場合は、診療拒否の正当事由となり得ると考えられます。
(2)あてはめ
以上を前提として、上記ケースであてはめをしてみます。
ケース①では、たしかに、A病院における専門医師の不在は診療拒否を正当化するようにも思えます。しかし、救急医療告示施設たる第三次救急医療機関は、救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していることが要件とされているところ、そもそも医師不在であるとの事由に正当性が認められるかどうかについて疑義があります。さらに、重症患者については受け入れて治療を行う必要性が高く、周辺に第三次救急医療機関が存在しなかったことをも考慮すると、緊急の処置すら行うことなく診療を拒否したケース①では応招義務違反となる可能性が高いと考えられます。
ケース②では、たしかに、ベッドの満床自体は診療拒否の正当事由に該当し得ます。しかし、B病院は、小児科専門医及び入院施設を有しており、幼児の症状も重篤であったうえ、B病院自体も周辺に代替施設の不存在を認識していたことをも併せ考えると、ケース②においてもB病院には応招義務違反が成立する可能性が高いと考えられます。
まとめ
以上のように、行政解釈・裁判例いずれにおいても医師には強い応招義務が課されています。
しかし、とりわけ地域医療においては、そもそも代替施設の不存在から、構造的に応招義務の狭間に置かれている医療機関も少なくありません。他医療機関への搬送の決定が真に必要な場合に、適切な判断が躊躇されてはならず、応招義務についても、さらなる具体的な基準形成がなされていくべきであろうと思います。