寄稿:原 湖楠、吉原 良哉

原 湖楠
アリゾナ大学経済学部博士課程に在籍。TXP Medical株式会社非常勤研究員。
2013年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院の初期臨床研修プログラム修了。東京大学大学院医学系研究科社会医学専攻博士課程修了。東京大学公衆衛生学教室特任研究員、東京大学大学院経済学研究科特任研究員等を経て現職。

吉原 良哉
東京大学医学部在学中。TXP Medical株式会社インターン生。

医療レセプトを用いて患者を同定する手法の精度をどう捉えるか

この記事では、どの分野の臨床医にとってもあまり馴染みの無い “Claims-based algorithm(CBA)” というものを紹介させて頂きます。CBAとは、医療レセプト(診療報酬明細書、英語ではhealth insurance claims)からある目的となる疾患である患者を同定するアルゴリズムのことを指します。

ここで、医療レセプトの知識が少しある方は思うと思います。医療レセプトには病名(いわゆるレセプト病名)が入っているのだから、それを元にその疾患である患者を同定すれば良いだけではないか?残念ながら、これは正しいとは限らないことがわかっています[1]。なぜなら、医療レセプトは、保険医療機関や保険調剤薬局が償還支払い請求のために作成する資料であり、必ずしも入力されている病名が正しい必要は無いからです。典型的には、ある検査を実施して、その検査の償還払いを受けるために必要な病名が入っていたり(例、ヘモグロビンA1cの検査のための糖尿病という病名)、差し当たっては治療の必要が無く、治療のコストがかかっていない病気は病名が登録されなかったりします(例、運動と食事のアドバイスを少しする程度の軽度の脂質異常症)。レセプト病名を単純に利用するだけで正確に患者を同定出来る疾患も数多くあるとは思いますが、このような背景があるため、医療レセプトを用いて患者を同定する必要のある研究では、その患者の同定方法がどの程度正しいかをちゃんと記載することが望ましいとされています。また、インパクトファクター(特に医療系の学術雑誌のランク付けとして良く利用される指標)が上位の雑誌ほど、この患者の同定方法の精度の指標が記載されていないと掲載が難しいことがわかっています[2]。

CBAの重要性がわかったところで、なぜこれは英語表記なんだ、わかりにくいぞ、と思われたことかと思います。この分野は医療レセプトによる臨床医学、臨床疫学の研究が盛んな北米では、1990年代から発展してきた分野なのですが、日本ではまだあまり発展しておらず、適切な日本語訳が無いのです。日本でそれほど発展していないのならば、日本にとってそれほど重要な分野では無いかと思うかも知れません。しかし、違うのです。医療レセプトは、近年では日本でも全国をカバーするデータが厚生労働省から提供されており、悉皆データ(ここではこれ以上は立ち入りませんが、集団全員をカバーするような大規模なデータは統計的なメリットがたくさんあるのです)が集まるということで臨床研究、臨床疫学、医療経済の分野などで注目されています。

ここまでの背景を考え合わせると、実は日本では医療レセプトを利用する研究者にとって非常に困った事態が発生していることがわかります。それは、日本では医療レセプトにおける患者の同定方法、つまりCBAが発展しておらず、ほとんどの疾患に対して、そのようなアルゴリズムが存在しないため、当然、患者の同定方法の精度の指標を論文に記載することなど出来ず、その点に関する厳しいコメントが査読者から返ってきて、リジェクト、ということになるわけです。この分野の多くの研究者がこの事実には気づいていながら、多くの人が目をつぶっています。なぜなら、このCBAを検討する研究は非常に手間がかかるからです。

日本版CBAをいかに作成するか

CBAを作成するためには、まず診断のゴールドスタンダード(比較対象)を作成する必要があります。このゴールドスタンダードと、医療レセプトからの同定アルゴリズムによる診断結果を比較して、どの程度そのアルゴリズムが正確かという指標を算出します。このゴールドスタンダードというのが曲者で、医療レセプトから同定される患者の精度を知りたいので、医療レセプトからゴールドスタンダードを作成するわけにはいきません。そこで、ほとんどの場合には、カルテ(診療録)を振り返って(このような行為を、カルテをレビューする、のように言います)、目的となる疾患の患者を同定することになります。医師二名が別々に全ての患者のカルテをレビューし、診断の齟齬があった場合には、さらに別の医師を含めて最終診断を下す(ゴールドスタンダードを付与する)のが望ましいとされています。北米のCBAの研究を例にとると、サンプル数が数千例から数万例のことが多いので、例えば五千例の患者のカルテをレビューする必要があるわけです。カルテレビューをやってみたことがある人(臨床医だと若手の時にやる機会はそれなりにあると思います)はわかるかと思いますが、五千例のカルテレビューは信じられないほどの労力がかかります。この労力に加えて、既に北米ではCBAを作成するという意味での検討は基本的には完了しており、ただCBAを作成しただけでは研究として成立しないので、ましてや日本のCBAについての研究など、国際的な興味を引くわけはなく、国際誌への掲載には苦労が伴います。

筆者はこの誰もやりたくない分野に少し工夫を加えて、日本のCBAの研究をうまく疫学の上位雑誌に載せることに成功しました[3]。ポイントは、ゴールドスタンダードをいかに自動的に作成するかということでした。その後、TXP Medicalにジョインして、どのようにすればカルテレビューを機械で代替出来るかについて検討を進めていますが、長くなってきましたので、ここから先の話は次の記事に回したいと思います。

参考文献

  1. Virnig BA, McBean M. Administrative Data for Public Health Surveillance and Planning. Annu Rev Public Health. 2001;22(1):213-230. doi:10.1146/annurev.publhealth.22.1.213
  2. Van Walraven C, Bennett C, Forster AJ. Administrative database research infrequently used validated diagnostic or procedural codes. J Clin Epidemiol. 2011;64(10):1054-1059. doi:10.1016/j.jclinepi.2011.01.001
  3. Hara K, Tomio J, Svensson T, Ohkuma R, Svensson AK, Yamazaki T. Association measures of claims-based algorithms for common chronic conditions were assessed using regularly collected data in Japan. J Clin Epidemiol. 2018;99:84-95. doi:10.1016/j.jclinepi.2018.03.004

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